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一枚の名車絵 第2回 BMW M1(1978〜1981)

ドイツを代表する自動車メーカー、BMW。スポーティであることを全面に押し出しているBMWですが、その中からさらに高性能なモデルには「M」の称号が与えられることはご存知の通りです。


記念すべきBMW最初の「M」

現在それらのMモデルを開発する「BMW M」社は、1972年に設立されたBMWモータースポーツ社に端を発します。BMWのレース用車を手がけていた同社ですが、1976年になってグループ4、グループ5(シルエット・フォーミュラ)のカテゴリーを席巻していたポルシェ934に打ち勝つためのホモロゲモデルの開発を開始しました。このクルマが、1978年にM1として登場することになります。M1はBMWモータースポーツ社が初めて生産した市販車でもあり、「M」の記念すべき第一号でもありました。


3.5LストレートシックスのM88型エンジン

ミッドシップスポーツカーとして企画されたものの、搭載されたエンジンはBMWの伝統ともいえる直6でした。この3.5Lエンジン(M88型)は、ツーリングカー選手権用の3.5CSLのもので、DOHC24バルブ+クーゲルフィッシャーの機械式燃料噴射により市販用で277馬力、グループ4用では470馬力、KKK製ターボで武装したグループ5仕様(3.2L)では800馬力以上を発生しました。

BMWにとってミッドシップは初体験だったこともあり、開発と生産をランボルギーニに委託しました。ランボルギーニは角形鋼板で構成されたフレームに前後ダブルウィッシュボーンサスというレーシングカーの文法に沿ったシャーシを用意。その上には、ジウジアーロのデザインによる低く伸びやかなボディ(FRP製)が載ることになりました。ジウジアーロは直6搭載によって伸びた長いホイールベースを上手に消化することに成功しています。


稀少な名車たらしめる悲運の少数生産

BMW_M1_20150804(クリックで拡大)ところが、ランボルギーニの経営不振や同社による遅々として進まない生産に手をこまねいたBMWは、ランボルギーニとの関係を解消。ドイツのコーチビルダー・バウアで製造されたシャーシをイタリアに送りボディを架装するという非効率な生産方法を取らざるを得なくなりました。そのため生産台数は予定よりも大幅に少なくなり、グループ4のホモロゲ取得の条件「年産400台」の達成すら出来なくなってしまったのです。これは、ポルシェ934の牙城をM1で崩せないことを意味しました。結果的にはM1のワンメイクレースや、特例によるグループ4の参戦(1981年)などのレースシーンでM1を見ることが出来ましたが、その活躍はBMWが夢見ていた「カテゴリー制覇」と比べて決して華々しいものではありませんでした。


ランボルギーニとジウジアーロそしてBMWが融合した希代の名車

このような不運の経緯を持つスーパーカー、M1の生産台数は500台に満たないと言われています。でも、不遇のストーリー、ランボルギーニによる開発、ジウジアーロが手がけたモダンなデザイン、そして珠玉のM88型エンジンなどによってM1は伝説の存在となり、今でも高い人気を誇っています。


【イラスト/文 遠藤イヅル】
フリーのカーイラストレーター/ライター。東京都出身。自動車雑誌、WEBサイトにクルマをテーマにしたイラストや記事を多数提供。世界各国の生活感があるクルマを好み、20年間で18台のクルマを乗り継ぐ。クレイジーなほど深くて混沌としたクルマ知識を持つ元自動車系デザイナー。自身のクルマ体験をもと、独創的な視点で切り込むイラストやインプレッション記事は、他にないユニークなテイストとして定評がある。2015年7月現在の愛車はプジョー309SI。最新の掲載誌は遠藤イヅルのfacebookで確認!

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