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一枚の名車絵 第24回 マツダ コスモスポーツ(MAZDA COSMO SPORT)


「次世代の夢のエンジン」として期待されたロータリーエンジンは、1958年に旧西ドイツNSU社のフェリクス・ヴァンケル氏が開発に成功しました。日本のマツダはこのエンジンの技術におおいに興味を示し、1960年にNSUとマツダ(東洋工業)は同社と技術提携の調印を行っています。

当時のマツダはなんとかしてトラックメーカーから乗用車メーカーへ転身を図りたかったため、その目玉の技術としてロータリーエンジンを選んだのです。それはマツダ初の乗用車「R360」が市販されてまだ数ヶ月、という時でした。


◆マツダを象徴するロータリーエンジン技術の原点


未知の内燃機関だったロータリーエンジンの開発は困難を極めましたが、NSUの技術をベースに独自の研究と努力、改良で少しずつその難問を解決したマツダは、1963年の東京モーターショーにロータリーエンジンを参考出品するまでになりました。

一方、本家のNSUは1964年に世界初のロータリーエンジン搭載車だった「ヴァンケルスパイダー」の発表にこぎつけます。ですがまだそのエンジンには課題が多く、しかも解決されないまま発売されたために、実用化されたというにはほど遠い状態だったと云われています。

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マツダも同年1964年の東京モーターショーで400cc×2ローターで70psを発生するロータリーエンジンを積んだ2シータースポーツカー、「コスモ」を参考出品しました。しかし1965年、1966年と続けて出品されるも市販はされず、1967年にようやく「コスモスポーツ」として市販が開始されることとなりました。

エンジンは1966年に出品された際に積まれていた491cc×2の10A型(110ps)が、現在でいうところにフロントミッドの奥深くに搭載されていました。コスモスポーツは最初のロータリーエンジンが流麗な純粋のスポーツカーに積まれたことで注目を浴び、148万円という高価格であったものの、1年で340台ほどが販売されました。

copyright_izuru_endo_2017_m024_cosmosports_1280_600(クリックで拡大)そして早くも翌1968年には大幅に改良されたモデルが投入されました。その改良点は150mmものホイールベース延長、エンジンは排気量をそのままに18psもアップして128psとなるなど規模は大きいものでした。最高速度も185km/hから200km/hに向上しています。そのため改良前を「L10A型」、改良後を「L10B型」として分類しています。

コスモスポーツは1972年に生産を終えるまでに約1100台が製造されたのみですが、マツダのアイデンティティとしてその後もマツダの数多くの車種に採用されたロータリーエンジンを初めて搭載した記念すべきクルマとして、これからもその存在は燦然と輝き続けると思います。


【イラスト/文 遠藤イヅル】
フリーのカーイラストレーター/ライター。東京都出身。自動車雑誌、WEBサイトにクルマをテーマにしたイラストや記事を多数提供。世界各国の生活感があるクルマを好み、20年間で18台のクルマを乗り継ぐ。クレイジーなほど深くて混沌としたクルマ知識を持つ元自動車系デザイナー。自身のクルマ体験をもと、独創的な視点で切り込むイラストやインプレッション記事は、他にないユニークなテイストとして定評がある。2015年7月現在の愛車はプジョー309SI。最新の掲載誌は遠藤イヅルのfacebookで確認!

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