izuru_endo_title101

一枚の名車絵 第21回 スズキ アルト(初代)


軽自動車は日本独自の規格として戦後の復興期から発展を遂げて来たが、1976年に上限排気量がそれまでの360ccから550ccに、ボディサイズも長さ20cm・幅が10cm拡大することが可能となり、より一層設計の自由度や性能・居住性の向上が図られることになった。

だがその一方で550cc化とボディ拡大、そして2回の排ガス規制(1978年に軽乗用車、1979年軽貨物車も対象に)という矢継ぎ早の大きな設計変更が各メーカーに要求されたために各社ともに開発が間に合わず、従来モデルの長さと幅を拡大するなどして対応するのが精一杯でもあった。

copyright_izuru_endo_2017_m021_alto_1st_1280_852

そんな中、スズキが1979年に送り出した初代アルトは、大胆な戦略のもと発売された新しい軽自動車だった。それは、「軽自動車の基本である、ベーシックカーの原点に戻ったクルマ」というコンセプトだった。昭和40年代(1965~1975)には装備が増え、デザインも派手になり、パワーもリッター100psという「高級化とパワーウォーズ」の時代を経て高価格化していた軽自動車に対して、スズキはアルトを驚異的な低価格である「47万円」から買えるようにしたのだった。

ターゲットは主婦層やセカンドカーとし、購入額のみならず3ドアハッチバックの軽バンとして登録(つまり4ナンバー)することで、当時軽乗用車に課されていた高額な物品税も非課税とした。商用登録するとリアシートは折りたたみ式の簡易的なものしか装備できなくなるが、スズキがリサーチしたところ軽自動車は1~2名で乗ることが多く、実質的な2人乗りで設計しても問題が無いとされた。


◆徹底した簡素化で実現した低価格


もちろん、47万円という低価格を実現するのは徹底した装備の省略と低コストの製造が可能な設計があってのことだった。今から見てもシンプルな当時の軽自動車の中でも、アルトは群を抜いてシンプルさが際立つ。何しろ、助手席の鍵穴が無いほどなのだ。だが新規格に合わせた完全新設計の車体は前輪駆動によって充分な室内広さを実現し、装備は簡略化されているとはいえ、必要最低限のものが極めて合理的に用意されていた。まさに「必要充分」なクルマだったのだ。

エンジンはスズキのお家芸ともいえる2ストがそのまま用いられたが、2ストで厳しい排ガス規制をクリアできたのはスズキだけだった。

copyright_izuru_endo_2017_m021_alto_1st_1280_852(クリックで拡大)セカンドカーという新しい需要も創出するほど売れ行き好調だった初代アルトには、次々と改良が加えられた。まず2ストエンジンは1981年に登場した4ストエンジンに置き換えられた。そしてあまりに簡易的すぎたがゆえか、上級グレードも追加され、4WDもラインナップされた。

1984年には2代目にバトンを渡してその役目を終えるが、2代目ではもはや究極的な簡易設計は姿を潜めることとなり、装備の増加と高級化が進むこととなったほか、ターボで武装した「ワークス」が後年追加され、パワーウォーズも再燃していった。


【イラスト/文 遠藤イヅル】
フリーのカーイラストレーター/ライター。東京都出身。自動車雑誌、WEBサイトにクルマをテーマにしたイラストや記事を多数提供。世界各国の生活感があるクルマを好み、20年間で18台のクルマを乗り継ぐ。クレイジーなほど深くて混沌としたクルマ知識を持つ元自動車系デザイナー。自身のクルマ体験をもと、独創的な視点で切り込むイラストやインプレッション記事は、他にないユニークなテイストとして定評がある。2015年7月現在の愛車はプジョー309SI。最新の掲載誌は遠藤イヅルのfacebookで確認!

>> 過去のイラスト記事一覧はコチラをクリック