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一枚の名車絵 第20回 トヨタ スポーツ800(Toyota Sports 800)


徹底して丸く愛らしいデザインが特徴的なトヨタ スポーツ800は、1965(昭和40)年~1969(昭和43)年まで製造された2シーターの小型スポーツカーである。ヨタハチの愛称で親しまれた、昭和40年代国産車を代表する車種のひとつだ。

最大のトピックはエンジン、足回りをはじめとしてコンポーネンツの多くを小型大衆車・初代パブリカから流用していたことで、そのため空冷、水平対抗OHVエンジンというパブリカのアイコンも引き継いでいる。

だがさすがに“スポーツ”を名乗るにはパブリカの700ccエンジンは非力だったため、エンジンは+100ccの排気量アップおよびツインキャブ化されており、出力もパブリカの28psから45psまでアップしていた。なおヨタハチの型式はUP15で、パブリカがUP10だったことからも両車の関係性がわかる。


◆軽量な車体と優れた空力特性

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とはいえ45psしかない、といえばその通りで、ライバルだったホンダ S600が57ps、S800が70psを誇ったことを考えると、非力な印象がある。だがヨタハチの武器は600kgに満たない軽量な車重だった。この軽さを実現したのは主査がもと航空機のエンジニアだったためで、その思想は徹底した各部の軽量化、空力重視の設計に現れた。その空力ボディもまたヨタハチの性能のひとつであった。実際、最高速度は155km/hを達成していた。最高速度でいえばS600の145km/hより勝っていたのだ。

つまり、ホンダ S600/S800が高度なDOHCメカニズムを採用するかわりに空気抵抗が大きく重い車体だったのに対し、ヨタハチはエンジンのみならず軽量車体、空力で性能を確保していたわけで、この対比はとても興味深い。


◆無給油で優勝した伝説のレース


ヨタハチはレースでも活躍したが、ここでもS600とヨタハチの設計思想の違いが現れたのだ。とくに伝説にもなっているのが、1966年に鈴鹿サーキットで開催された第1回鈴鹿500kmレースでの「無給油優勝」だろう。エントラントには1600ccクラスのフェアレディやロータス エランなどの速いマシンがおり、非力なヨタハチに勝機はないと思われた。だが、ヨタハチは軽量ボディと燃費の良さを武器になんと500kmを無給油で走り抜け、最終的には優勝を飾ってしまったのである。

最大のライバルだったS600を含め、給油を強いられた他のチームはそれが大幅なロスタイムとなったのだ。絶対的な一瞬の速さでななく、トータルで見たら速かった。それもまた、クルマの速さのひとつ。いかにも経済車ベースのスポーツカーらしいエピソードである。

copyright_izuru_endo_2017_m020_toyota_sports800_1280_775(クリックで拡大)そう思うと、ヨタハチにはクルマの未来があるかもしれない。スポーツカーといえど馬力や絶対的な速度がその楽しさを左右させるものではない、ということを考えさせるのだ。小さくて、遅いクルマの楽しさがあるのだ。おまけに燃費もよいのだ。50年以上も前に生まれたこの小さな国産スポーツカー・ヨタハチには現代にも、そして未来にも通じるインテリジェンスを感じさせるのである。

なお、ヨタハチの生産台数はわずか3000台余と言われており、残存している個体は非常に貴重なものとなっている。


【イラスト/文 遠藤イヅル】
フリーのカーイラストレーター/ライター。東京都出身。自動車雑誌、WEBサイトにクルマをテーマにしたイラストや記事を多数提供。世界各国の生活感があるクルマを好み、20年間で18台のクルマを乗り継ぐ。クレイジーなほど深くて混沌としたクルマ知識を持つ元自動車系デザイナー。自身のクルマ体験をもと、独創的な視点で切り込むイラストやインプレッション記事は、他にないユニークなテイストとして定評がある。2015年7月現在の愛車はプジョー309SI。最新の掲載誌は遠藤イヅルのfacebookで確認!

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