ガリバーアウトレット米沢店の店舗ブログ
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クルマメーカーの歴史「スバル編」
今回はお車メーカースバルの歴史に触れていきます!
富士重工の設立日は1953年(昭和28)7月15日ですが、公開されている沿革によると、スバルには戦前まで遡る長い歴史があります!
スバルが創業期としているのが、1917年(大正6)5月で、元海軍士官の国産航空機の重要性を説いていた中島知久平が退官しして長年の夢だったという飛行機研究所を創設したのが始まりとのことです!
後に中島飛行機株式会社として会社組織化され、太平洋戦争中は軍用機を生産した大メーカーの出発点でした!
そして、太平洋戦争の終結とともに平和産業への転換を行い、その第一歩として、
終戦から2日しか経っていない1945年(昭和20)8月17日に、富士産業株式会社と改称しました。
しかし1940年代末から1950年にかけ、GHQの財閥解体により、ほぼ工場単位で富士産業は12の企業に分割されてしまいます。
ですが1953年になり、再び合併が許される状況になると再集結が試みられさまざまな事情で全社が集まることはできませんでしたが、東京富士産業や富士自動車工業など、5社が集結して共同出資して富士重工を設立し、数年後に5社は富士重工に吸収合併される形でひとつの会社になりました。
そんな富士重工が乗用車の開発をスタートさせたのは、1954年(昭和29)2月のことで後に「スバル1500」と命名されることになる試作車「P-1」を開発したのが始まりでした。
そのときに得たノウハウを存分に活用して誕生させたのが、名車「スバル360」です。
「スバル」の名は、富士重工業の初代社長である北謙治の命名によるもので、彼には信念として「国産車には日本語の名前をつけるべきである」という考えがありました。そこで、社内募集したがめぼしいものがなく、自身で温めていた「スバル」を命名することにしたのとのことです。「スバル」とは漢字で昴と書き、古くは"六連星(むつらぼし)"などとも呼ばます。牡牛座の散開星団であるプレアデス星団で肉眼では6~7個の明るい星がまとまって見え、再集結した中島飛行機系の5社と新たに誕生した富士重工のイメージを重ねていたという説もあります!
そんなスバルが現在の名前になったのは2017年4月1日のことで、この日に富士重工業株式会社から株式会社SUBARUへと改称しました。
この改称は、「"価値を提供するブランド"としてこれからも生きていく」という決意表明として行われたものです。
以上が自動車メーカースバルの歴史でした!
もっと詳しく知りたい方は是非調べてみてください!!!
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