ガリバー熊本八代店の店舗ブログ
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エンブレム由来 プジョー編
プジョーが手掛けたモデルといえば、まず「猫目」と呼ばれる鋭い釣り目のヘッドライトをイメージする人も多いでしょう。
猛禽類を彷彿とさせるフロントフェイスは精悍の一言であり、現行モデルではややスッキリしたとはいえ、プジョーらしいデザインは健在です。
また、「猫足」とも評されるしなやかな足回りもプジョーの特徴。
この猫足とは、プジョーのラインアップモデルのサスペンションフィーリングへの例えです。
ゴツゴツした石畳の多い市街地と、ワインディングロードが続く山間部というフランスの独特な道路状況へ対応するために編み出された、
プジョー特有のサスペンションチューニングを指しています。
流麗なラインで形成されたボディを持つプジョーのモデルたちは、しばしば「世界一美しい」と評されます。
世界中に自動車メーカーは数あれど、洗練された女性的なプロポーションを与えられた車を生み出し続けているのがプジョーなのです。 プジョーの歴史 製鉄工場としてスタートしたプジョー プジョーの歴史は自動車会社の中でも特に古く、ルーツは1818年にまでさかぼります。
当時のフランス東部、フランシュ・コンテ地域にあるドゥ県モンベリアールにて、
ジャン・ピエール・プジョー2世の手により製鉄工場として産声を上げました。
このジャン・ピエール・プジョー2世は、冷間圧延工法と呼ばれる金属を非加熱のまま伸延して加工する技術で特許を取得、
製鉄工場を立ち上げました。
そして、その息子であるエミールとジュールは、その特許技術を用いてさまざまな工業製品を製造。
成功を収めることになったのです。 自動車業界界への参入 製鉄工場としてスタートを切ったプジョーが、
初の自動車を生産したのは1889年のこと。この舵取りをしたのがアルマン・プジョーでした。 彼は自動車の持つ可能性を予見し、1888年にはメルセデス・ベンツの生みの親であるゴットリープ・ダイムラーに接触を図っていたのです。
そうして生み出されたのが、蒸気機関を持つ三輪車である『セルポレ・プジョー』。
翌年には蒸気機関ではなく、ダイムラー社から提供を受けたガソリンエンジンを搭載する、
ブランド初のガソリンエンジン四輪駆動車『Type2』を開発しました。
1981年には『Type2』の後継モデルである『Type3』がパリ-ブレスト往復レースに参加し、
往復2200kmもの距離を時速14.7km/hで走破した実績が残されています。
その後もアルマン・プジョーは、次々と新型を開発していきます。2人乗りになった『Type5』、
シートを対面とした『Type9 ビザビ』などラインナップは増え続け、
1898年には第1回パリ・モーターショーに出展。
1900年、プジョーの自動車生産台数はついに年間500台を達成し、
累積では1296台を数えるほどになったのです。
現在、プジョーは同郷のメーカーであるシトロエンを傘下に持つグループ企業「グループPSA」の中軸を担い、
フランス最大の自動車メーカーとして活躍しています。
代表的な現行モデルにはBセグメントコンパクトカーである
『プジョー208』、『307』の後継モデルとしてデビューし、
2代目となった『308』。 また、同ブランド初となるSUVモデル『3008』など、
常に先進的なデザインと技術を併せ持った車を開発し続けています。
実はプジョーのエンブレムは、プジョーがまだ自動車業界に参入する以前に生産していた刃物製品に由来しています。
プジョー製品に初めてライオンマークが使われたのは1850年のこと。このマークは最高品質を表すものとして扱われ、プジョーが主要製品としていた「のこぎりの刃」に刻印されるようになりました。
この刃の宣伝にて、「鋸の刃の堅牢さは、ライオンの歯のごとく」「鋸の刃のしなやかさは、ライオンの強靭な肉体のごとく」「鋸の刃の切れ味の良さは、獲物に飛びかかるライオンのごとく」であると、刃の品質とライオンが結び付けられるようになったのです。
この宣伝文句のキーワードである「堅牢さ・しなやかさ・切れ味」を思い浮かべてみると、現在のプジョーのモデルたちにもピッタリな言葉ではないでしょうか。
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