一枚の名車絵 第18回 サーブ96(Saab 96)
北欧スウェーデンの自動車メーカーといえばボルボとサーブですが、サーブはかつてほどの勢いを持っていません。1937年に設立された歴史あるメーカーだったサーブですが2011年に破産、それからあとはサーブを引き取った経営母体が次々と破産してしまうという「流転」の状態が続いています。ですが、このメーカーを無くすにはあまりにも惜しいのです。というのも、サーブが出して来たクルマたちはいずれも、個性的で優れた設計のものが多かったからなのです。
◆35ドラケンなどを開発した航空機メーカー
サーブは本来航空機を開発製造するメーカーでした。正式な社名は「スベンスカ・アエロプランAB」(スウェーデン航空機株式会社)で、第二次世界大戦では単発プロペラ機のB17、双発のB18などを生産、戦後は民生機の小型旅客機の製造に乗り出したほか、サーブの戦闘機の特徴であるデルタ翼の35ドラケン、37ビゲン、39グリペンなどの開発を行っています。
なお、サーブは1968年にトラック・バスメーカーのスカニア・VAVIS社と合併し、サーブ・スカニアとなりました。1995年にはスカニアが分離しましたが、しばらくの間サーブのエンブレムには「スカニア」の文字が残ったほか、サーブ、スカニアともにエンブレムは共通のグリフォンが存続しています。
サーブの自動車部門は1990年にGMが出資した「サーブ・オートモビル」に移管、2000年にはGMの完全小会社になったことでサーブの自動車部門は航空機製造のサーブとは関係のない会社になりました。ですがGMが経営破綻で同社を手放したことにより、残念なことにサーブも破産してしまったのです。
◆航空機製造のノウハウが活かされた独特な設計
最初のサーブの乗用車は1950年から発売が開始された「92」でした。航空機メーカーが開発したクルマだけあって、その設計はとても変わっていました。駆動方式はDKWのエンジンをベースに開発された2ストの2気筒で、搭載/駆動方式もDKWの設計に従いFFとなりました。外観は空気抵抗が少なそうな涙滴型の流麗なデザインで、ボディは当時のクルマでは最先端のモノコック式でしたが、これらは航空機製造のノウハウが多いに活かされた結果でした。
(クリックで拡大)92はその後2ストのまま3気筒化した「93」へ、そして1959年には大幅な設計変更が施された「96」とそのエステート版「95」と進化を続けましたが、96の頃には基本設計は92のままながらも室内の居住性の大幅改善などが図られ、見た目でも印象は大きく変わっています。
96は1967年登場の「99」(のちの900の前身)デビュー後も併売され、ついに1980年、1950年に市販開始した92以来30年ほど続いた「第一世代サーブ」の長い使命を終えることとなりました。なお、2ストエンジンは1966年に欧州フォードの4ストV4エンジンを搭載したことで消滅しています。このとき、95、96は「95V4」「96V4」という車名になりました。
1960年デビューの96はとても息の長いモデルだったので、1970年代以降は安全対策に合わせてランプ類やバンパーの大型化といった近代化が行われましたが、1940~50年代が原設計の丸いクラシカルなフォルムとのギャップもまた楽しいところ。今回はそんな96の末期モデルで5マイルバンパーが仰々しい「96GL」をあえて描くことにしてみました。
【イラスト/文 遠藤イヅル】
フリーのカーイラストレーター/ライター。東京都出身。自動車雑誌、WEBサイトにクルマをテーマにしたイラストや記事を多数提供。世界各国の生活感があるクルマを好み、20年間で18台のクルマを乗り継ぐ。クレイジーなほど深くて混沌としたクルマ知識を持つ元自動車系デザイナー。自身のクルマ体験をもと、独創的な視点で切り込むイラストやインプレッション記事は、他にないユニークなテイストとして定評がある。2015年7月現在の愛車はプジョー309SI。最新の掲載誌は遠藤イヅルのfacebookで確認!