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一枚の名車絵 第16回 スバル1000(Subaru 1000)


かつては「商用バンみたいだから」と思われてあまり売れなかったステーションワゴンのイメージを覆し、それまで無骨で特殊であった四駆を一般的な4WD乗用車として日本に定着させたスバルのレオーネやレガシィ。スバルがこだわり抜いたそのフラット4(水平対抗4気筒)エンジンを搭載したFF(前輪駆動)車ベースの実用車というスタイルは、1966年登場のスバル乗用車の元祖ともいえるスバル1000で、すでに確立されていました。


◆フラット4伝説の原典たるスバル脅威のメカニズム


スバル1000は、画期的な構造を持ちつつ低価格を実現したスバル360の成功によって4輪への参入を果たしたスバルが、その上のクラスである1リッタークラスの小型乗用車市場に進出すべく登場させたサルーンです。かつて中島飛行機で航空機設計を行っていた百瀬晋六が開発担当をしたスバル1000も、彼が手がけたスバル360同様、やはり独創性に溢れた小型車となっていました。

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まず、当時の国産車では主流(というより王道)のFR(後輪駆動)ではなくFF車だったことがトピックでした。驚くべきはそのパワートレーンで、国産車では前代未聞だった水冷フラット4エンジンを採用していました。FF車で長いホイールベースゆえの広い室内は排気量1.3~1.5リットル級のクルマに相当。当時としては(いや、現在でも)画期的なリアシート足下の完全なフラットフロアを実現していました。

また、フラット4エンジンによる低い重心、バネ下重量の増加を嫌ってトランスミッション脇にブレーキを設けるインボードブレーキ、1リットル級では珍しかった4輪独立懸架などにより優秀なハンドリングを示すなど、意欲的かつ合理的で独創性の高いスバルならではの設計は多くの良好な結果を生み出しました。


◆現在も受け継がれる絶え間なき熟成進化の思想


スバル1000はその後、昭和40年代のクルマがほぼ間違いなく通った「パワーアップしてほしいという市場の声」に応えることとなりました。まず1967年にはノーマル比12馬力アップの「スポーツ」が、さらに1969年にはシリーズ全体のエンジンを1.1リットルに増強。車名はスバル1100とはならずに「ff-1」となりました。そしてさらに翌1970年には1.3リットルになり、車名も「ff-1 1300G」へと変わっています。ツインキャブと高圧縮比を持つスポーツ系では93馬力を発生するに至りましたが、これには、同じクラスにホンダ1300というパワー思考の高い極めて強力なライバルが現れたことも影響しています。

copyright_izuru_endo_2016_m016_subaru1000_1280_824(クルックで拡大)ff-1はこれまた同時期のクルマらしい「バリエーションの展開、高級化、装備の豪華化」という路線にも乗ることとなり、豊富なグレード設定が行われ、シンプルだった内外装デザインは次第に派手に装われていきました。そして1971年、後継となるレオーネが登場、最初はクーペのみでしたが、1972年にはセダンが追加されたことによってff-1もカタログからその姿を消すこととなったのでした。

1965年から1972年までの7年間の製造だったスバル1000/ff-1ですが、短い時期に度重なる改良、パワーアップ、バリエーション拡充を絶え間なく行っていました。その結果、登場時と末期ではイメージがかなり異なるクルマとなっています。この時期はまさにマイカー時代の幕開けで、1年おきに世相がめまぐるしく変化していた時代でした。スバル1000の変遷はまさにその変わりゆく時代を映す鏡ともいえましょう。


【イラスト/文 遠藤イヅル】
フリーのカーイラストレーター/ライター。東京都出身。自動車雑誌、WEBサイトにクルマをテーマにしたイラストや記事を多数提供。世界各国の生活感があるクルマを好み、20年間で18台のクルマを乗り継ぐ。クレイジーなほど深くて混沌としたクルマ知識を持つ元自動車系デザイナー。自身のクルマ体験をもと、独創的な視点で切り込むイラストやインプレッション記事は、他にないユニークなテイストとして定評がある。2015年7月現在の愛車はプジョー309SI。最新の掲載誌は遠藤イヅルのfacebookで確認!

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