忘れられない8月20日
8月20日の日曜日、鈴鹿サーキットでポッカ1000kmレースが開催された。灼熱のレースは、フェアレディZの1−2フィニッシュで幕を閉じている。ボクにとって8月20日のスズカというのは特別な意味のあることだ。今から41年前、1965年のこの日、鈴鹿サーキットでアクシデントが発生した。ホンダS600で練習走行していた浮谷東次郎が、クラッシュしていたクルマを避けようとしてガードレール脇の水銀灯に激突。重傷を負い、翌21日に亡くなったのである。享年23歳。
浮谷東次郎の軌跡をたどる
今では浮谷東次郎の名を知る人も少なくなった。ボクは彼の生き様を5年ほど自動車雑誌に連載していた。彼と関わった多くの人たちにインタビューを行い、その人となりを知ったが、取材するたびに感銘を受けたものである。東次郎は1942年7月16日に千葉県市川市に生まれた。子どものころからバイタリティあふれ、中学3年のときにはオートバイで市川、大阪間1500kmを往復している。17歳のときにはアメリカに渡り、多くのことを吸収した。これらのことをまとめた著書『がむしゃら1500キロ』や『俺様の宝石さ』、伝記『燃えて走れ』などは今も若者に読まれている。
今もレース史に輝く東次郎の走り
レースデビューは64年5月の第2回日本グランプリだ。コロナで出場した。東次郎が輝きを放つのは65年である。5月のクラブマン鈴鹿でホンダS600を改造した“カラス”とコロナを駆り、2種目を制覇した。そして7月に完成したばかりの船橋サーキットで開催されたCCCレースでも2種目で優勝を果たす。
圧巻だったのは雨に見舞われた船橋CCCレースだ。ロータス・レーシングエランとトヨタスポーツ800で優勝を飾った。とくにヨタハチではレース序盤に生沢徹のホンダS600とぶつかり、ピットで修復したため最後尾まで落ちている。そこから鬼神の追い上げで優勝したのだ。この劇的な逆転優勝は、日本のレース史に残る名勝負として今も語り継がれている。
今日21日は、東次郎の命日。彼の偉業を讃え、トヨタスポーツ800のミニカーを久しぶりに出してみた。
レースを彩ったトヨタスポーツ800(ヨタハチ)
ライトウエイトスポーツの代表であるトヨタスポーツ800。チョロQ以外は43分の1スケールで、赤いクルマはエブロ製(税別3,400円)、シルバーのレーシング仕様は京商製だ。チョロQは限定発売の東次郎車。
デビューレースを飾ったヨタハチ
京商のヨタハチ。船橋CCCレースに出場したゼッケン20の浮谷東次郎のマシン。かなり前に手に入れた。今は絶版になっていると思う。シルバーのボディに黒のトップ、白のストライプが栄える。ヨタハチのデビューレースだった。
ノーマル車と比較、これが船橋CCCレース出場車だ!
上のヨタハチがノーマル。下は船橋CCCレース出場車。同じシルバーのクルマだが、フェンダーミラーやタイヤ、バンパーなどがノーマル車とは異なる。どちらも京商の作品だ。ヨタハチのエンブレムが台座についている。