ライター紹介

221616 編集部

世の中の自動車ニュースとは一味違う視点でスローニュースを発信。編集部員はクルマ初心者からクルマをこよなく愛するマニアまで幅広いメンバーで構成。全国のガリバーで売れている中古車や車のスタッフレポートなど、生の情報をお届け中。

ハッキネンとの出会い

前回に引き続き、私の「F1遍歴(?)」のお話です。
さて、97年のシーズンを終えた頃、ようやくF1への興味が沸いてきたのはいいのですが、当時の私はデーモン・ヒルとジョージ・ハリスン(ビートルズのギタリスト)の見分けもつかなければプロストとブライアン・メイ(クイーンのギタリスト)、アレジとシルベスター・スタローン(俳優)も見間違うような有様で、シャーシのメーカーとエンジン供給が別だったりとか、107%ルールがどうとか(懐かしいですね)、まだまだサッパリ分かるはずもない迷える子羊でありました。そして行きがかり上ヴィルヌーブを応援してはみたものの、まだF1観戦における指針というものがなかったのです。
 
そんな折、新聞の小さなコーナーの人物紹介的なインタビューで、とあるF1ドライバーの記事を発見。どれどれ、ミカ・ハッキネン?写真の好青年そうな印象と、「大変な事故からカムバックしたヒーロー」のストーリー。私の心には「おっ、こんなドライバーもいたのだな」と薄らぼんやり好ましく彼の名前が刻まれたのでしたが、その春の開幕戦、いきなりです。まぶしいほどのシルバー・アロー 1・2フィニッシュ、シューマッハまで周回遅れという華々しい勝利、いやデヴィッドさんお先に、いやいやミカさんこそどうぞ状態を目撃した途端、あっと言う間に「さ、この人応援しよ」という事になってしまいました。アラ〜、ヴィルヌーブはどこへ。(いえ、まあ、ヴィルヌーブも応援してはいたのですが…、やはり優勝争いに注目してしまうミーハー心)。

「白夜の貴公子」って!?

しかし、ハッキネンは今思い出しても非常に心に残る、愛すべきナイスガイなドライバーでしたね。今記憶を呼び覚まそうとしてウィキペディアを見てみたのですが「白夜の貴公子」……、あっはっは。あっ、その、失礼しました。いえいえ、ハッキネンというのはつくづく何か枕詞を付けずにはいられないキャラクターだな〜、と。ポディウムでのえも言われぬかっこ悪いガッツポーズ、最高でした。インタビューでの余裕の表情を作ろうとしてるのにぎこちない仕草、ステキでした。やはりファンが忘れられないのは偉大なるイリヤ様、ではなくてモンツァの森の男泣きでしょう。一緒にちょっぴり泣きました、ええ。あと1周というところでリタイア、なんて悲劇もありました(それは2000年だっけ?)。そしてやはり「VSシューマッハとの一騎打ちの面白さ」。いや、時には味方も敵かしらと見まごう展開、そんな感じでしたね。毎週本当にレースが楽しみになったのです。
 
ついでにいうと、やはり奥さんのイリヤさんも印象的でした。圧倒的な存在感を放ち、ピット内で隣にいたロン・デニスはじめクルー全員をいつも点線化しており、尻に敷かれているところを決して誰かが目撃した訳でもないのに確実に「ハッキネンは恐妻家」伝説が出来上がっていたのもなるほど頷けるというものです。

仕事が手につかない!

そんなこんなで「基本はハッキネン応援」という指針が決まり、また1年見ているうちに、全チームが把握でき、ドライバーのフルネームがすらすら口を付いて出るようになり、監督の顔も判別できるようになり、「ホッケンハイムは高速サーキット」だの「スパのオールージュは難しいらしい」とか「マクラーレンの強さはエイドリアン・ニューイのマシン設計」とか、分かってるんだか分かっていないんだか、とにかく雑誌を読んだりネットを見たり家人に教えてもらったりと付け焼刃の浅知恵を身につけ始めるに至りました。
 
F1放映時間にはペンは止まりっぱなし状態、すっかりF1エンジョイライフ、仕事そっちのけの本末転倒です。月曜の気分は日曜の夜の結果次第、てな具合でプロ野球ファンのお父さんのあの迷惑な心情を理解する境地に達してくると、だんだん優勝争いだけに着目するだけでは物足りなくなってきて、中盤争いのあたりも気になってくる頃。なぜかしら、あの地味な黄色がなんだかステキ…。それはジョーダン無限ホンダのミスター青髭、ハインツ・ハラルド・フレンツェン。次回は彼について熱く語ろうと思います。ではまた。