ニッサンR382

ニスモフェスティバルの目玉は、R38シリーズの編隊走行だ!

 NISMOフェスティバル@富士スピードウェイ2005の超目玉は、1960年代後半に富士スピードウェイを席捲したニッサンR38シリーズの編隊走行だ。ニッサンR380、ニッサンR381、ニッサンR382の3台が、サーキット狭し、と走り回っている。

 今回は、その最終章となったニッサンR382を取り上げてみた。このビッグマシンがベールを脱いだのは69年夏である。2枚羽根のエアロスタビライザーを装着したR381の後継マシンとして開発された。開発の初期段階ではエアロスタビライザーを想定していたが、FIAからウイング禁止令が出たため取り外している。ウェッジシェイプにダックテールの個性的なフォルムで、ホイールベースはR381より70mmも短い2400mmだ。鋼管スペースフレームをベースに、フロント部分をモノコック構造にしている。

R382の強烈なインパクト。その余韻をミニカーで楽しむのが達人流!

 子供心にボクがビックリしたのはエンジンだ。フェラーリが好んで採用するV型12気筒DOHCを採用した。当時のホンダF1もV12だったが、12気筒レイアウトには神秘的な魅力がある。

 しかも6リッターの大排気量だ。最初は5リッターだったが、ライバルのトヨタ7を突き放すため排気量を拡大して69日本グランプリに臨んだのだ。ちょっとズルいのでは、という感情も沸いたが、580ps/60.0kg-mのパワースペックは魅力的に映った。
 
 10月10日の日本GPには、イエロー、ブルー、オレンジに塗られた3台のR382が出場している。この69日本GPは、バンク付きの富士スピードウェイを120周、720km走る常識ハズレの生き残りレース。トヨタは5台の5リッター・トヨタ7を送り込んだし、タキ・レーシングはポルシェの最新鋭マシン、ポルシェ917と908を送り込んできた。

 R382は予選からブッチ切りの速さを見せ、3番手までを独占。決勝レースでも序盤こそトヨタ7とポルシェ917に先行を許したが、後半は独走態勢を築き1−2フィニッシュを達成している。

 さらなる飛躍が期待されたが、公害問題がクローズアップされ、日産はワークスとしてのモータースポーツ活動を休止した。70年6月の富士300マイルレースが、R382にとって最後のレースだ。R382はボクに強烈な印象を残し、去っていった。その鮮烈な走りを2年続けて堪能できたのだから幸せ者である。この余韻をミニカーで!

05年は高橋国光氏がドライブ

ニッサンR382

 04年のNISMOフェスティバルに向けてレストアされたイエローのニッサンR382 。04年のTIサーキットのイベントでは長谷見昌弘氏が、05年は高橋国光氏がステアリングを握った。当時、高橋国光氏はブルーに塗られたニッサンR382を駆っている。

大迫力のV12エンジン

ニッサンR382エンジン

 エンジンは5954ccのV型12気筒DOHC4バルブだ。GRX−IIIの呼称が与えられた。5リッターバージョンもあったが、69日本グランプリは排気量アップして臨んだ。空気を入れるインダクションポットが装備されている。最高出力は580ps/7200rpmだ。

ストリームラインの限定発売モノのR382

ニッサンR382ミニカー

 69年の日本グランプリで高橋国光氏がドライブしたブルーのニッサンR382 。このミニカーは43分の1スケールで、前に紹介したニュートヨタ7ターボと同じストリームラインの限定発売モノ。かなりいい仕上がりで、価格はトヨタ7と同じように5000円くらいだった。

イエローとブルーのR382

ニッサンR382ミニカー

 ブルーのニッサンR382とイエローのニッサンR382 。イエローのマシンはヨネザワ玩具のダイアペットの作品。かなり前に手に入れたと記憶している。価格も覚えていないが、そんなに高くなかったと思う。トミカリミテッドでも優勝マシンを発売している。また、これのブルーバージョンがカーマガジンエディションにあり、こちらは雑誌込みで1800円だ。

ライバルが対峙

R382とトヨタ7

 NISMOフェスティバルではサプライズ企画としてトヨタ7がR382などとランデブー走行した。が、69年の日本GPで実際に走ったのは、テールエンドまで覆ったこのタイプ。これはエブロ製の43分の1スケールで、今でも手に入る。価格は4000円弱だった。