信号待ちをしていると

勝手にクルマへ乗り込む女がいる。

そんな噂が流れた始めたのは、去年の夏の終わり頃だっただろうか。
体験した奴の話を聞くと、
停車中に勝手にドアを開けて、助手席にドカッと座り込む。
「乗っけてって」

年は22〜23歳ぐらい、
冬でも丈の短いカットソー1枚に
ヒップハンガーのジーンズでヘソ出し、という姿が奇妙だが、
相当イイ女らしい。

ドライバーも男が多いから、ついつい受け入れてしまうという話だ。

結構陽気な女らしく、話しも盛り上がるという。

携帯のメアド交換しようよ、ってところまでになる。
女の答えは「ケータイ持ってない、潰された」だそうだ。

目的地は冥往市の外れ、旧国道沓掛交差点の手前。
歩道橋付近で「この辺でイイや」そう言ってクルマを降りていくという。
不思議なことに、その女を引き止めた奴はいない。
クルマを降りた後、去年の秋に出来た角のコンビニ脇の小道に吸い込まれていく。

ちょうどその先にある「沓掛ハイツ」の住人では、ともいわれているのだが、
真相を確かめた奴はいるのだろうか。

噂を頼りに、その女目当てで走り回るガラの悪い1BOX車もいたらしいが、
目当てに走る車が「巡り会えた」と言う話はまったく聞かない。

「乗り込む女」は特定の場所に現れるわけではないからだろう。

自分の経営する会社

その通勤に使うアシグルマに、俺ははコダワリを持つことにしている。
今日のアシはフランスのホットハッチ。
他にも3台の高級輸入車を所有している。

自宅の専用ガレージでゆっくり眺めるのも楽しみのひとつだ。
他に趣味もなく、おかげさまで会社の業績も好調。
金には困っていない。

帰宅途中、渋滞中の国道で定時連絡。

「今日は遅いのか?」
「うん、遅くなると思う。マジだるーい。」

『御手洗タワー』内の上場企業で働く彼女も、最近統括に昇進したようだ。
おかげでさまでお互い仕事が忙しく、会う機会も少なくなった。
それでも来月の挙式になんとか漕ぎ着けることが出来たのは、奇跡に近い。

「じゃ次は週末にね。」
「じゃ、土曜。いつものところでまっててよ。」

さて、8月最後の週末の前に、やるべき「仕事」が残っている。

会社からの帰り道は、
ドライブを楽しむために毎晩違うルートを選んでいる。

冥往市内を走り回って1時間ほど。この角を曲がれば御手洗町。
この街一番の大手企業が所有する高層ビルが立ち並ぶ。
『御手洗タワー』はそのシンボルだ。

彼女はまだ仕事中かな。
俺と彼女が出会ったのも商談が最初。一目で優秀な人材と知れた。

スキルを活かすためにも、
結婚後はうちの会社で役員になってもらうつもりだった。
しかし、生活と仕事を切り離したくもある。
悩みどころだな。

御手洗町のビル街を抜けたところで、赤信号に引っかかる。
突然助手席のドアが開いた。

「乗っけてって」

丈の短いカットソー1枚に
ヒップハンガーのジーンズでヘソ出し、
健康的で整った顔立ち。
噂のイイ女に出会えても、不思議に感慨はわかなかった。

よし、俺は冷静だ。 (次ページへつづく)

※この物語はフィクションです。
※この文章の無断転用を禁じます。