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一枚の名車絵 第22回 フィアット124(FIAT 124)


日本でも知名度が高く、現在500やパンダが人気のイタリアのメーカー「フィアット」。過去にもジウジアーロデザインの初代パンダやウーノなどたくさんの小型ハッチバックを生み出していることから、フィアットといえば小さなクルマ、ハッチバックという印象が強くあるかと思います。ですがハッチバックという車種は1970年代になってから出た類型のひとつなので、それまでの主力は他のメーカー同様にセダンだったのです。意外ですよね。

その数多いフィアットのセダンを代表する一台が、1966年に登場した「124」です。2016年にアバルト 124スパイダーがマツダ ロードスターの4代目ND型をベースにリメイクされて登場。124という数字はふたたび知られるようになってきましたが、もとはといえばこの124セダン(イタリア語でベルリーナ)をベースにした派生モデルが124スパイダーだったのです。


◆堅実だが凡庸ではないその設計

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かつてのフィアットはこれまた意外なことにデザインは奇をてらわず、オーソドックスなスタイリングで室内とトランクは広く、エンジンはOHV、駆動方式は後輪駆動という堅実な設計思想が“むしろ”特徴で、124もこの特徴を持った極めて良心的な実用車だったのです。

ただ、124は「単なる凡庸なクルマ」にはなりませんでした。元フェラーリのアウレリオ・ランプレディが手がけたエンジンに、サスペンションは当時では画期的な4輪独立、しかもクラスを考えると贅沢な4輪ディスクブレーキを装備。これによって優れた運動性能を持った124はトータルバランスの高いクルマとして評価され、イタリアのみならずヨーロッパでヒット作となり、1967年には欧州COTYも受賞したほどなのです。


◆旧共産圏を中心に末永く愛された標準車


124はその後、前述のスパイダーのほかスポルトクーペやDOHC搭載モデルを追加。イタリア本国では1974年まで製造され後継の131に道を譲りますが、124の命はこれで尽きませんでした。

フィアットはイタリア以外での現地生産を早くも1960年代には開始しており、とくに旧共産圏への進出には積極的でした。旧ソ連では1970年から「VAZ(ヴォルツスキー自動車工場)」で124のノックダウン生産を開始しています。

copyright_izuru_endo_2017_m022_fiat_124_1280_880(クリックで拡大)まだ西欧でも充分新しかった124(VAZ2101と呼ばれた)は、まだまだクルマの近代化が進んでいなかったソ連国内では最新のクルマとして捉えられ、ソ連(ロシア)や東欧では標準車ともいえるほどによく売れたのです。しかも、VZA2101はその後改良とバリエーション追加を行いながら2104や2105、2107などと名前を変えつつ、なんとつい最近の2012年頃まで製造されていたというのですから驚きです。

124はロシア以外でもインド・トルコなどでも生産されたのですが、その結果生産台数は1500万台以上に達するとみられています。これは、生産台数の多いVWビートル、T型フォードにも肩を並べるほど。124というクルマがいかに「誰しもが満足する、クルマらしいクルマ」だったのかがわかるかと思います。


【イラスト/文 遠藤イヅル】
フリーのカーイラストレーター/ライター。東京都出身。自動車雑誌、WEBサイトにクルマをテーマにしたイラストや記事を多数提供。世界各国の生活感があるクルマを好み、20年間で18台のクルマを乗り継ぐ。クレイジーなほど深くて混沌としたクルマ知識を持つ元自動車系デザイナー。自身のクルマ体験をもと、独創的な視点で切り込むイラストやインプレッション記事は、他にないユニークなテイストとして定評がある。2015年7月現在の愛車はプジョー309SI。最新の掲載誌は遠藤イヅルのfacebookで確認!

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