初代 セリカカムリ 羊の皮カムリのスポーツセダン
2代目V10系カムリ 横にたたずむのは俳優の田中那衛氏

FF化された2代目V10系カムリ。CMキャラクターは俳優の田中那衛氏であった。「食べる前に乗る」のだろうか。

3代目V20系カムリ 当時のカローラやマークIIを通して共通のテイスト。

3代目V20系カムリ この頃のトヨタ社デザインはカローラやマークIIを通して共通のテイストがあり、なかなか落ち着いたスタイリングで好印象(と当時は思った)。いまだにたくさん見かける80系マークIIに代表されるように、(当時の)日本人好みのツボを付くのがうまい。悪く言えば万人受けの1億総中流意識の具現化能面デザイン。パッケージングや質感も他メーカーに差をつけていた。

4代目V30系カムリ 少々まるっこくなったが、先代と同コンセプト。

4代目V30系カムリ 少々まるっこくなったが、先代と同コンセプトでやはり100系カローラや90系マークIIに通じる日本人デザイン。クラウンが仏壇デザインに走っていた頃だが、その後クラウンマジェスタやセルシオといったバブル世代の登場で「いつかはクラウン」のトヨタヒエラルキーが終焉を迎える。つまりカムリとビスタ(コロナ&カリーナ)は主戦場を失いつつあったのだ。当時、実はV30系ビスタの2.0L GT(3S-G登載)が気になっていたのはヒミツだ。

5代目V40系 カムリ 「頭文字D」に登場するガソリンスタンドの店長、立花祐一の愛車である。

5代目V40系 カムリ 本文参照。この車の特徴を語ることは、登山の素人がフリークライミングに挑戦して、指を掛ける岩の窪みを見つけることぐらい難易度が高い、いわば上級者向けである。というより「頭文字D」に登場するガソリンスタンドの店長、立花祐一の愛車と言った方がわかりやすいであろう。

カムリグラシア 決してマークIIクオリスセダンではない。

カムリグラシア 成功したとは言い難いセプターと車種統合し、3ナンバーサイズで仕切りなおしの登場。日本は北米のオマケ市場と捉えられても仕方がない設定。決してマークIIクオリスセダンではない。今でこそ「メインとニッチの全網羅」のトヨタだが、当時の時代背景とミニバンへのシフト状況等を考えれば、国ごとの車種設定も厳しかったことだろう。

先代のカムリ あまり語れません・・・

先代のカムリ ウィンダムと兄弟。あまり語れません・・・ちなみにカムリはグラシアの世代からダイハツ「アルティス」としてOEM供給されている。知らなかった・・・ダイハツとのOEM関係と言えば双方向にたくさん存在するが、それはまたの機会に。というのも、いすゞ アスカがレガシィだったりアコードだったり、ジェミニがドマーニだったりと、止まらなくなってしまうためである。

北米を中心に人気の高い世界戦略車

新型 カムリ なかなかかっこいい・・・と思う

 新型 カムリ が登場した。
カムリは日本を含む8カ国で生産され、100カ国以上で販売されているヒット車種である。
 北米ではトップクラスのセールスを記録し、トヨタにとっては世界市場的にも非常に重要な車種となっている。

 この新型 カムリ、最近のトヨタ・セダンの流れに沿ったスタイルで、洗練されていてなかなかカッコいいではないか?
 しかし、日本人にとってのトヨタ カムリ(と兄弟車種のビスタ)は、正直地味な存在である。

実はスポーツセダンだった初代セリカカムリ

初代 セリカカムリ 誇らしげな「GT」マーク この頃は・・・

 カムリの歴史は、初代のセリカカムリから始まる。

 セリカカムリはカリーナの兄弟車種であり、同じくFRのスポーツセダン。
 まさに「羊の〜」なんとやらである。
(上記メイン写真参照)

 当初はOHV+キャブレターの1600ccと1800ccエンジンのみであったが、後にEFI(インジェクション)化された2000ccのDOHCエンジン、18R-GEUを登載した「GT」が登場する。
 その他1800cc OHV+EFI、2000cc OHV+キャブレターのエンジンもラインナップしていた。

 前:ストラット+後:ラテラルの4輪独立サスペンション、4輪ディスクブレーキを搭載し、まさに本気仕様。
 まるで現代のアコード ユーロRのようだ。

と、言いたいところだが、
当時の日本車はスペック至上主義。
 「ツインカム」「ターボ」という言葉がもてはやされた時代であり、結局は販売上のイメージリーダーであったに過ぎない気もする。

そしてFF、さらにV6と・・・

カムリ プロミネント V6を登載したハードトップセダン。わたしなら頑張って80系マークIIを買います。狭いけど。

 さて、2代目のV10系カムリからは兄弟車である初代「ビスタ」の登場とともにFF化され、広い室内空間をウリにした真面目なセダンへと変貌を遂げる。

 後のトヨタ標準エンジンともいえる、ハイメカツインカム(なんだかなぁ)を初採用した3代目、オヤジ臭の増した4代目と、基本的にはキープコンセプトと言っていいだろう。

 ちなみに、3代目V20系カムリと4代目V30系カムリには、V6エンジン登載で4ドアハードトップの上級モデル
「カムリ・プロミネント」
(V20系は87年に追加設定)というモデルが存在した。

 そもそも3代目にはセダン構造の他にハードトップ構造のボディもラインナップされていたが、4代目のハードトップはV6のプロミネントのみ。
ややこしい。

国内でカムリの持つイメージ

5代目V40系カムリ お許しくださいませ

 バブル崩壊後の1990年代半ば、俳優の田村正和氏を起用した4代目V40系ビスタ(カムリで言えば5代目)のTVCMは、鯛焼きを例にとって、
「尻尾の中まであんこが詰まっていますか?」
(ビスタは詰まってますよ)
というメッセージを送っていたが、実に空虚。

 実際、この時期はどのメーカーの車も質素な造りで、露骨なコストダウンが見え隠れしたものだ。
 90年代初頭の見えないパーツにまでこだわった「無駄な高級感」は一斉に絶滅。

 94年モデルチェンジのV40系カムリ&ビスタも例に漏れず、である。そのため、特徴を挙げろといわれても、言葉に窮するほどの地味さを演出する結果となった。

 強引に特徴を上げるとすれば、「頭文字D」に登場するガソリンスタンドの店長、立花祐一の愛車といったところか?

入り乱れる車名

カムリ グラシア これなら少々狭くても90系マークII買っちゃいそう

 その後、カムリ&ビスタは「トヨタらしく」実に複雑な変貌を遂げる。ハイエースファミリー並とまではいかないが、結構ややこしい。

 まず、96年にカムリが一足先に北米向けFF、国内3ナンバーサイズのセダン「セプター」(セダン、ワゴン、クーペが存在した)の後継と統合する形で「カムリ・グラシア」となる。
 加えて国内の「マークIIクオリス」(97年)とも兄弟車だ。

 のちに同形式のセダンは「カムリ」、ワゴンは「カムリグラシア」と名称の整理が行われる。
 そして01年にはウィンダムと兄弟車となり、車体も大型化。エンジンは直列4気筒の2.4Lのみ。
 国内で発売しながらも、もはや日本市場を相手にしていない世界戦略車種となった。

意欲的な最後のビスタ

ビスタ アルデオ 意欲的な提案のある車だったのに販売チャンネルが・・・

 一方のビスタは、98年のモデルチェンジからカムリとの兄弟関係を解消。
 ウォークスルーが可能な構造や、室内ユーティリティを重視した背の高いセダンとなり、ワゴンの「ビスタアルデオ」も登場。
 すでに主流となっていたミニバンへ対抗(もしくは意地か)するかのような提案に満ちた車ではあった。

 が、03年にトヨタ英国工場生産「アベンシス」のセダン&ワゴンに取って代わられる。

 トヨタの販売チャンネルである「トヨタビスタ店」そのものも、04年にネッツ店と統合されることとなった。
 天下のトヨタといえども、チャンネルの統廃合はありえるのだ。

セダンが輝きし時代よ永遠なれ

3代目V20系カムリ GT パパ達はこのエンブレムにどんな夢を描いたのであろうか。今で言えばエスティマのアエラス?

 V10〜V30系のカムリには2.0L DOHC、(1.6Lの4A-Gと並ぶ)当時の自称スポーツエンジン3S-Gを登載したグレードが存在する。
 というより、3S-Gのデビューそのものが、2代目V10系カムリからである。

 この時期のセダンは日産も三菱もホンダもマツダもフルラインナップ主義。
 現在20歳代の方には想像がつかないかもしれないが、どのメーカの(お父様&ファミリー)セダンのカタログにも、
『2000cc DOHC 16バルブエンジン』
『スポーツツインカム 16バルブ』
という言葉が踊っていた時代があった。
 当然5速MTが設定されている。

 トヨタではコロナ&カリーナ一族、マツダ カペラ、ホンダ アコード、ラリーベースの有名どころでは4WD DOHCターボの日産 ブルーバードに三菱 ギャラン。

 小型ファミリーカーも同じ。
 カローラ、サニー、ミラージュ、ファミリア、シビック、すべて1600ccDOHCエンジン登載スポーツグレードあり。
 ご丁寧に、税制諸費用の安い1500ccとたった100cc違いで重複ラインナップ。
 とはいえ、トヨタの1600cc 4A-Gエンジンやホンダの1600cc ZCエンジンは確かに「スポーツエンジン」であったと思うが、ファミリア 1500ccと(NAの)1600ccの場合、カタログを見ながら「テンロクを誰が買うのだ?」と当時思ったものだ。

 三菱車の排気量xグレードxボディ形状の数に至っては、カンブリア紀の生物並であり、もはや覚えきれない。
 機会があれば、秘蔵カタログを紐解きながら紹介したいと思う。

麗しき80年代のDOHCロマン

 VTECとSOHCとDOHCを使い分けているホンダや輸入車を除けば、今ではほぼあたりまえのエンジンスペックといえるDOHC。
 しかし、現代のそれはあくまで低燃費志向のものであり、一方80年代の「DOHC」はカタログスペック追求から生まれたものである。

 現在のセダン市場にも、本気志向のスバル レガシィB4やホンダ アコード ユーロR、ATのみだがレクサス、マツダ RX-8など、確かにその魂が受け継がれてはいる。
 しかし、すべてにおいて「ついんかむえんじんとうさい!」とアピールした、あの時代が復活して欲しい・・・と思うのは「西部警察」世代特有のトラウマからくる、無い物ねだりなのだろうか?
 
 需要・コスト・エコロジー・世界市場基準。
どの視点から見ても、今ではありない世界だろう。