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いきなり爆弾発言ですが・・・(汗)

私が遠い目をして昔を懐かしんでいるうちに世間では開幕戦が始まってしまいました。時代は猛スピードで動いているものですね。という訳で、乗り遅れまいとF1雑誌を読んで開幕直前チェック(注:これを書いてる時点は開幕戦前)です。
オオッ、なんですかこのマクラーレン、ピッカピカじゃないですか。二輪孫悟空ロッシがフェラーリをテスト?あれ、ミナルディってなくなっちゃったの?!V8エンジン時代?わー、見たことないドライバーがいっぱいだ、と、まったくついていけません。ついていけないにも程があります。

それもそのはず、何を隠そう、ここで重大爆弾発言なのですが、私、去年のF1あまり見てなかったのです。なんでそんな人間がのうのうとこんな所でF1について書いてるんだ、金返せというお怒りは非常にごもっともなのですが、私の話も聞いてくださいまし、これが世に言う(言わないか)「スポーツナショナリズム燃え尽き症候群」なのです。そりゃなんですか。

スポーツナショナリズム燃え尽き症候群って!?

時は2002年、英国F3で華々しい成績を残した琢磨選手がジョーダンの黄色いコスチュームに身を包んだとき、私の期待はオーバーヒート気味でした。ちょっと油断して、スポーツにおけるナショナリズムに身をゆだねてしまったのです。自国の選手に対する過剰なまでの愛情、それがスポーツナショナリズムな訳ですが、それがなぜいけないのか。イヤ、いけなくはないのですが、いかんせん勝負にこだわりすぎるのです。危険なのです。サッカーなどがいい例です。日本代表が出てなかった頃のワールドカップを見ていた私の態度は平和でした。ほほーう、この選手すごいねえ、今のロングパスときたら、やあやあ赤勝て白勝て、いやブラジルを応援してるんだけど、なかなかフランスもがんばるねえ、などと(まあ常に分かってるんだか分かってないんだかといういい加減な観戦態度ですが)余裕を持って楽しく客観的に見ておりました。

が、日韓ワールドカップ。とにかく日本代表を応援してしまい熱く燃え上がったのはいいのですが、問題なのは「とにかく日本が勝てばいいったらいいの!」的かつ独善的観戦になり、自国の選手のプレーはなんでも名プレーに見え、ひいきの引き倒し、相手国の人たち、いいから問答無用に負けてちょうだい、とスポーツマンシップもへったくれもない状態です。アナタだけしか見えないわ、の盲目状態であるからして、もー負けちゃった暁には悔しいやら憎らしいやら、というか、もういいや、なんでも。と急に沸点から氷点下へそのスポーツ全体への熱が冷めてしまう、これが「スポーツナショナリズム燃え尽き症候群」というヤツです。愛しすぎるのは危険なのです。というか、そういうひとりよがりな愛はそもそも愛と呼べるのか、などと得体の知れない方向に話が脱線しかねない勢いです。おお、怖い怖い。

琢磨選手大好き!

という訳で、もちろん今までも鈴木亜久里選手、片山右京選手、中野信二選手、高木虎之介選手等々、すばらしい日本人ドライバーの皆さんが活躍していたのですが、あまり入れ込み過ぎないように自分で自分をセーブして(?)、「ほんのり応援」という態度を保ってきたのです。

が、他のひいきの選手が次々消えていくF1界。ハッキネンがいなくなった後、スムーズにライコネン応援に移行出来ず(というのも、横道ですが、同じチームで同じフィンランド出身で名前に「ネン」がついているからと言って安易に乗り換えていいのだろうか、という訳の分からない素朴な疑念を持ってしまったため、のめりこむタイミングを逸したのです)、フレンツェンも風前の灯火という2002年。ついに私は鳴り物入りでさっそうと現れた琢磨選手に対する期待の前に屈したのです……って、なんかまるで悪い事みたいじゃないですか!

いえいえ、そうではなく、まあとにかく、琢磨選手大好きです。が、それが大いなる愛と苦悩の始まりなのでした(って、開幕してからも昔話するわけ?!)ではまた。

ホンダのショールームにて、厚さ1.5cmの琢磨選手と並んでご満悦の筆者(バカです)

※おまけ
ホンダのショールームにて、厚さ1.5cmの琢磨選手と並んでご満悦の筆者(バカです)