初期型プリンスR380&66年日本GP出場のR380

子供のころの憧れが現実に!

 昨年12月に富士スピードウェイで開催されたNISMOフェスティバル2005でもっとも感激したのは、子どものころの憧れのマシン、“ニッサンR380”が甦ったこと。おじさん世代ならプリンスR380とそれに続くニッサンR380のことはご存知だろう。この栄光のマシンが新生なった富士スピードウェイを疾走したのだから鳥肌が立ってしまった。当日は昼前から雨、そして雪の悪天候だったが、朝イチのウォーミングアップ走行では怪鳥R381や?型12気筒エンジンを積むR382ともに元気な走りを見せつけている。砂子塾長のドライブだったが、胸にジーンときた。

GT-Rを生む基本を築いたR380

 64年5月の第2回日本グランプリを制するためにプリンス自動車は『スカイラインGT』を送り込んでいる。だが、想定外のマシンが出場してスカイラインGTの優勝を阻んだ。優勝をさらっていったのはポルシェの最新鋭マシン、904GTSである。この屈辱を晴らすために、プリンス自動車の設計陣は日本で初めて本格的なプロトタイプ・レーシングカーを製作した。これが“プリンスR380”だ。GR8型と呼ばれる2ℓの直列6気筒DOHC4バルブエンジンを積み、谷田部のスピードトライアルに挑戦したり、66年の日本GPに出場した。

 日産自動車と合併後の67年からは“ニッサンR380”を名乗っている。デザインが大きく変わり、ミッションなども変更された。だが、5月の日本GPでは作戦ミスなどがたたり、ポルシェ906に優勝をさらわれている。その年の秋には再び谷田部でスピード記録に挑んだ。マシンはR380A−II改型である。これをレストアし、NISMOフェスティバルで走らせた。記録会では7種目の国際記録を更新している。68年の日本GPには進化版のR380A−?型を持ち込んだ。69年秋にはオーストラリアにも遠征し、優勝と2位を勝ち取った。

 スカイラインGT−Rを生む素地を築いたR380は、ボクにとって忘れえぬレーシングカーだ。2ℓの排気量にこだわり続け、実力を高めていったことに引かれる。だからエブロがR380のミニカーを発売し、シリーズ化したときは、うれしくて小躍りした。

エアロダイナミックスが向上したR380-A2改

ニッサンR380‐AII改

 レストアされ、NISMOフェスティバルでお披露目されたニッサンR380‐AII改。ハイスピードで走るため、ダウンフォース性能を高め、高速安定性を向上させた。エンジンはスカイラインGT−Rに積まれたS20型の母体となったGR8型直列6気筒DOHC4バルブだ。

コクピットは、男の仕事場!

ニッサンR380のコクピット

 まさに男の仕事場、といった雰囲気が漂うニッサンR380のコクピット。中央に置かれたタコメーターを中心に補助メーターが並んでいる。タコメーターは11,000回転スケールだ。イベントでは6000回転のところにスパイ針をつけているが、当時のレースでは常時8000回転オーバーの領域を使っている。

60年代のグランプリシーンの華R38シリーズ

プリンス&ニッサンのR38シリーズ

 1960年代後半、日本のグランプリシーンを彩ったプリンス&ニッサンのR38シリーズ。ブルーのマシンは69年日本GP出場のR382、白いクローズドボディのマシンは68年に登場した怪鳥R381のプロトタイプだ。66年のGP出場車、プリンスR380と谷田部のスピードトライアル出場車、そしてニッサンR380。

いろいろな時代のR380

いろいろな時代のR380

 3台ともR380だ。ゼッケン9のマシンはプリンス時代のR380で、66年の日本GP出場車である。赤と白の2トーンに塗られたマシンは矢田部のスピードトライアルに挑戦した初期型のプリンスR380。ゼッケン12は67年の日本GPで大石秀夫がステアリングを握ったニッサンR380。いずれもエブロ製のミニカー。

貴重なルーフ付R381

ニッサンR381

 68年の日本GPに向けて開発されたニッサンR381。最初はこのミニカーのように屋根付きのグループ6カーだった。だが、グループ7カーの出場が認められたため、ルーフを取り去った。R38シリーズはエブロ製の43分の1スケールで、価格は税抜き3400円から3800円。まだ手に入るはず。