ダイハツ・スポーツ

ダイハツ創立100周年目を記念すべく、大きな出来事が!!

 ダイハツ工業が常勝スズキを破り、軽自動車ナンバー1メーカーにのし上った。メデタシである。そのダイハツは、3月1日に創立100周年の節目を迎えている。100年、1世紀もの間、一流企業として頑張り続けているのだから凄いと思う。ダイハツは大阪商人とは思えないほど「地味」なメーカーだった。が、戦前から戦後にかけてオート3輪によって確固たるポジションを築き、着実に実績を伸ばしている。軽オート3輪の「ミゼット」は大ヒットを飛ばし、1960年代に日本の景色に溶け込んだ。その後、ハイゼットで軽4輪業界に打って出たが、その直後からコンパーノ・ベルリーナやコンパーノ・スパイダーなど、魅力的な乗用車を積極的に送り出した。

ダイハツの歴史を語る資料展示館『ヒューモビリティ・ワールド』

 このダイハツは、トヨタ傘下に収まり、現在に至っている。ダイハツは小さいクルマ社会でのリーディングカンパニーを目指すとともに、時代の求める新しい価値を創造し続け、スモールカー文化を構築している。2006年は新世代ミニのソニカを市場に放ち、大黒柱のムーヴとミラをモデルチェンジした。そして100周年の節目の年に、念願の軽自動車ナンバー1メーカーにのし上ったのだ。また、100周年を迎えた記念事業の一環として資料展示館『ヒューモビリティ・ワールド』をオープンさせた。この館内を視察するチャンスに恵まれたので、ちょっと紹介しよう。

 資料展示館は大阪府池田市ダイハツ町1‐1、つまり本社社屋の隣に建設されている。小学校の社会化見学がメインだが、8月ごろからは一般のファンも見学できるようになるようだ。ハイブリッドカーの原理など、体験型展示が中心で、楽しみながら学ぶことができる。が、黎明期の傑作3輪車、ビーやミゼット、レーシングカーのダイハツP5、幻のダイハツ・スポーツなどが展示され、ファンならずとも時間を忘れるほど楽しい。

タクシーにも使用されていたオート3輪の「BEE」

ダイハツ「BEE(ビー)」

 ダイハツが1951年(昭和26年)に市販したオート3輪の「BEE(ビー)」。その名から分かるようにミツバチをイメージしてデザインされた。ボディは意外と大きく、後席もそれなりの広さなのでタクシーにも使われている。エンジンは804ccの空冷水平対向2気筒OHVを積む。約300台が生産されたが、現存するのは数台だけ。

幻のショーカー「ダイハツ・スポーツ」

ダイハツ・スポーツ

 3輪トラックメーカーから乗用車メーカーへの脱皮を図るダイハツが、イタリアのビニアーレ社とのコラボで生み出した幻のショーカー、それが『ダイハツ・スポーツ』だ。63年のトリノ・ショーに、このクーペとコンバーチブルを出品している。行方不明だったが、海外のオークションに出たのを知り、ダイハツが買い戻した。

1967年にダイハツが開発したレーシングカー「ダイハツP5」

ダイハツP5

 富士スピードウェイで開催された日本グランプリに向けて、67年にダイハツが開発したレーシング・プロトタイプだ。67年と68年の日本グランプリなどに出場している。エンジンは専用設計の1.3L4気筒DOHCで、これをミッドシップに搭載した。

ダイハツの主力モデル「ミラ」&「ソニカ」のプルパックカー

ダイハツ ソニカ/ミラプルパックカー

 ダイハツの試乗会でおみやげとしてもらったプルパックカー。43分の1サイズのミニカーよりちょっと大きい。これはミラとソニカだが、ムーヴなど、他のモデルもある。最近はデザインも見られるようになった。いろいろな色が用意されている。

記念に頂いた「コンパーノ・スパイダー」

コンパーノ・スパイダー ミニカー

 ダイハツの傑作スポーツカー、コンパーノ・スパイダーの43分の1ミニカー。この初期型はエブロ製だ。左側が通常のパッケージ。右はヒューモビリティ・ワールド限定モデル。赤いボディカラーは基準車にもあるが、専用のパッケージなのがミソ。見学に行ったときに、記念品としてもらいました。

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